四国八十八ヶ所
霊場 第7番札所十楽寺から第8番札所熊谷寺への道中 |
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四国八十八ヶ所歩き遍路の第一日目。初日でかなり疲れてきた頃でしょうか、第7番札所十楽寺から第8番札所熊谷寺へ向かう道路沿いに小さな公園があります。ここで、トイレでもお借りして小休止と足を踏み入れると真っ先に目に付くのが是。いや失礼。三木武夫大先生です。『クリーン三木』、
本当にそうだったかどうかはしりませんが、そう記憶しています。
三木武夫は1907(明治40)年3月17日、徳島県のここ、土成(どなり)町に生まれ、中学生(旧制)時代に授業放棄による全学ストライキを決行し放校処分となって徳島の地を去っています。1937(昭和12)年、徳島に戻り総選挙に出馬、当時史上最年少の30歳で衆議院に当選します。
碑文によると「日米戦うべからず」の一大国民運動を興し、1942(昭和17)年の翼賛選挙でも官憲の弾圧に抗して栄冠を勝ち得たとあります。
1974年12月〜1976年12月、第66代内閣総理大臣就任。
外相時代に沖縄返還問題に関して「核抜き本土並み」を求め、首相になってからは日本の防衛費(軍事費)をGNPの1%以下に抑える「防衛費
1%枠」などを決めています。ロッキード汚職事件の究明にあたり、三木武夫がクリーンであったのならば、クリーンでなかった当時の自民党議員による『三木おろし』により2年で総理大臣退任。時を同じくして、ロッキード事件で逮捕され保釈中
だった田中角栄は、新潟の選挙区でトップ当選をはたしています。当時の日本人はクリーンな政治など望んでいなかったようです。現在はどうでしょうか。
首相退任後も、生涯軍縮問題に取り組んだそうです。世界平和祈願! |
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