御由緒
神代の頃に新宮の神倉山にお降りになった熊野神が、約2500年前にここにお移りになり、速玉大神、夫須美大神、家津御子大神の三柱の神を二つの社殿に祀っていたが、約2000年前に、この祭神の内、家津御子大神が本宮へ移られ、約1900年前に、熊野神が新宮へお移りになった。この時に鵜殿諸手船(もろとぶね)が神幸船を先導し奉ったことが伝えられている。(熊野権現御垂迹縁起・帝王編年記・扶桑略記)
このような御由緒から千数百年このかた私たちの生活の中に精神的なよりどころとして、代々の人々の崇敬を今もなお受けている。 境内からは古墳時代末期頃(約1500年前)から鎌倉時代頃(約700年前)までの祭祀用の古い土器も出土し、熊野地方とくに鵜殿村にとっては神倉山に次ぐ古い祭祀遺跡で最も貴重な文化財である。
貴祢谷社保存会 昭和54年4月吉日
- 以上 境内案内板ママ - |